▼ブログ帰農人

知る人ぞ知る真澄屋のあちが綴る週間コラムです。「街を耕す八百屋:真澄屋」と、無農薬農園「真澄農園」を経営。子供は6人。


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■ 2008年11月28日

村へおばか、注入!

やはり暖かく湿ったまま12月に入りそうだ、今年は太平洋からの影響が大きい、ドカ雪の可能性大、トンネルやハウスの補強をしっかりしなければ、また大寒波もきそうだ、荒れるな。
先週、長野の天竜村から来た「あつし」は、異例に早く雪積もる中で大豆の脱穀をしてきたという、サルに食われないよう必至だ。
我孫子から連れ合いと共に村に入植して3年、爺婆たちや「村社会」の凄さをたっぷり経験したくましくなっていた。
バカ正直に付き合っているようで、年寄りたちの手伝いばかりさせられているようだ、当然自分の畑に専念できない、年収60万で月4500円の家賃を1年間滞納し、思い切ってアコムに6万円借りにいったら断られ「人生最大の経済危機だった」と凡庸なヒゲ面で必至に話す内容に落語を聞く思いだった。
2日間一緒に仕事をし、立派なクワつかいや立ち振る舞いをみて嬉しかった。
いずれ山菜や雑穀、果樹そして村の文化なども多く教えてもらえるだろう。
ちなみに35才くらいで子どもももう少ししたらつくるそうだ。
楽しみですねぇー。
バカひとり村に入るだけで状況は大きく変わる、おれら、町も変わる。

日時: 15:40 | パーマリンク



■ 2008年11月20日

あらまっ冬が、あらまっ猫に香典が

最高最低温度計という便利な機械がある。
本体と数m先のセンサーの2ヶ所の最高と最低の温度が記録されている。
ハウスなどで使っているが一つあまったので家に設置してみた。
一番の寒気が来るというので朝起きた時から眺めていたら外の温度がぐんぐん下がっていく、4、3、2、6時頃には1℃代まで到達、予想外だ、畑に出てみると夏草や夏野菜類は見事に凍ってしなびている、昨日定植したレタスなども凍っていた、立ち直るか心配しながら急いでトンネルをかけた。
さつま芋や生姜などの保存も難しい、毎年失敗の繰り返し、来週いっぱいが勝負だなと早い夕暮れをいまいましく眺めていたら、これが実に美しい、江戸川の土手がステージで下からオレンジ色の照明を照らしているみたい、自転車や鳥たちが影絵のように動いている、冬の幕開けの演出としてはグー、美しい冬の日々と巡り会えたらいいな、だってこの秋はまったくしまりがなかったもん。
ガキどもが冷えてないか心配で電話したら、ちゃんと練炭コンロをおこしていた、帰ってみたら火の調整も上出来、たいしたもんだとほっとした。
昨年テレビの取材で半年通っていたディレクター夫妻からトロへの香典が届いていた。
同封の写真を見て貝人が「超かわいいー」を連発しながら、仏壇に線香をあげていた。
お返しは要らぬとの3千円、どうしよう、新たな物語の主資金に。
でもこのセンス凄く新鮮。

日時: 13:09 | パーマリンク



■ 2008年11月13日

アミニズムが沁みる秋

 鶏ってほんとに3ぽ歩けばだ、いじめつくされた婆コッコと雄鶏は今は外で自由に暮らしてる、だけど鶏舎に餌をあげに行く時必ずついてきてうらめしそうに見てる、家族に給餌を頼んだ時、婆コッコが入ってしまったらしい、いないので探すと鶏舎の中で伸びていた。
幸いダメージは少なく生きている、若雄鶏はすぐ飛び乗ったっけ。
なんとも、、、、。
今年の秋は乾かない、ずうっーと湿っている。
だからどんなに寒くっても底冷えがしない。
ほんの1.2度が野菜たちの生育に大きく影響する、そればが少しは肌感覚でわかるようになってきた、月の満ち欠けも以前より意識している、俺たちの身体も野菜もみんな土と水でできてる。
お日様は全てを動かし、お月様は摩訶不思議な調整役だ。
生きていることの意味、数万年の人類の試行錯誤などを日々考えがちなのはひとえに百姓生活を続けているからだ、ミレーもゴッホも百姓の絵を尊厳をもってかいた、北斎も百姓や漁民、職人たちが築き上げた美しき国土を愛し掘った。
地方へのUターン率が38%と増えているとの統計が出た。
素晴らしい、地方の過疎化の歯止めのために八百屋や百姓をやってきた。
これ基本の一つ。
世界的な経済の行き詰まり、大いに結構ではないですか。

日時: 12:17 | パーマリンク



■ 2008年11月08日

畑のトン汁

 帰りの電車で気持ち悪くなり途中の駅で降りトイレに行こうとしたがダメ、線路は無理、さすがTX、構内にはいたのは若いとき以来、ごめんね。
この所まったく飲んでいないワインをがぶ飲みし、普段の夜は酒だけなのに、十数人のコック活躍する帝国ホテルでのディナーなんてもう二度とないだろうと試しに食いまくったのがきいた。
みんな過もなく付加もなく、畑で作るトン汁のほうがはるかに美味しい。
読売新聞の国際協力賞で仲間のCODEが受賞し、ペシャワールの会のアフガンで死んだ伊藤君が特別賞の式なので、ヒゲ面で汚いのもけっこういるだろと思っていたら、数人しかいなかった、知り合いはいないなとあきらめてたら、一番汚いのが隣に来てしばらくいた、似てるけどたぶんちがうんだろうなと思っていた、話しかけたら、ちゃんぷーるのオスギだった。
神戸の震災の時1年間タッグを組んだ仲間、そこに避難所の体育館でアジを焼いた新松戸のつるぴか小林さんが現れた。
3人いると心強くなる、援助チームの若い元気なスタッフたちとも話せた。
この前姉貴を亡くし気を落としている神戸のカラの先日激励の為バッティングセンターに誘ってくれたやつもいた。
彼は阪神ファン、ナベツネのところなら虎のユニフォームをと考えたが、「それだけは、500万円がパーになる」と止められただけあって、唯一ボディーチェックされたそうだ。
神戸の震災から咲いた世界災害救援隊は発足以来全ての災害に付き合い続けている。
合言葉は「最後の1人まで」。
伊藤君がペシャワールの会に面接に来た時はひ弱な26歳、それから5年間アフガンで百姓をしていた。
技術もないのに指導なんておこがましいと、現地の人とひたすら開墾していた姿なども映し出された。
行動隊長の村井さんにお祝いをわたしたら「助かる、交通費で困ってたんや」。
やったー、カネが生きた。

日時: 13:29 | パーマリンク



■ 2008年11月02日

置き土産は懐中時計

 ここひと月イッシーとの別れを惜しむように多くの人が畑仕事を手伝いに来てくれた。
昼飯も大変なので一升炊きの電気釜とおかずを持って昼から鍋などを突っついたりして少しでも話せる時間を作った。
イッシーがいるうちにビニールハウス2棟を解体し井戸を掘ったハウスの横に並べる大仕事を計画していたが、みんなの協力で見事に8割がたこなしてしまった。
31日の最後の晩餐の翌日、木枯らし1号が吹く真っ青な空のもと、片付いた元ハウス後をトラクターをかけきれいな畑に戻した。
本格的な野菜作りを志しイッシーと2人で建てたはじめてのハウス、昨夜の酒が残りきつかったが意地でも元の姿に戻したかった、けじめをつけたかった。
木枯らしなのに妙に暖かくまさにイッシーのような風だなとか考えながら、ともかく心が落ち着かない。ただすーごーくいい分かれ方ができたね、とマサとしみじみ、それもこれも1年も前に大分に帰ることを話してくれたことが最大の要因、でも一年ってあっというまだった。
あのバカ懐中時計をプレゼントしてくれた。
あいつも懐中時計を愛用していた。
時間にルーズがちなので何度も腕時計を進めたが頑固、そして俺も使えって。
本格的帰郷は月末くらいだしまだ会える、うん、イズとの新婚生活を気張ろう。

日時: 13:34 | パーマリンク