年寄りの話しは千年万年
戦後まもなく耕運機も普及していなかった頃、野菜を市場まで運ぶのはリヤカーか自転車だそうで、自転車には最大2表、つまり120kgを積んで砂利道の土手の上を松戸や市川の市場まで運んでいたという、男も女も。
自転車もさぞかし頑丈に作られていたのだろうし人も根性があった。
5月に富士のふもとの金時山に登り、新田次郎の強力伝のモデルの娘さん(今は婆さん)の茶屋で味噌汁をいただいた。
その親父さんは白馬の頂上に、その方角に見える山の羅針盤を持ち上げた。
50貫(約180kg)の大理石を2つ。
その後無理がたたって若死にした。
我が農園がある新川耕地240haも昭和の初めの農耕牛も普及していない頃にクワとスコップとリヤカーだけで、それまで丸や三角の田んぼをきれいな四角い1反(300坪)の田んぼに作り変えた。
俺はてっきりブルなどの重機で整地したと思っていたら、実は百姓たちが総出で3、4年で仕上げてしまったという。
毎日その田畑で土をひじ繰り返している自分にはその偉大さが実感できる。
大古墳や城、ピラミッドまでも実感の視野に入る。
ほんの5、60年前とその前の数千年は人力で全てを作ってきたことでは同じ世界である。
その多大な苦労の中にはぐくまれた人類の宝は世界中の地方に砂金のごとくつつましく埋もれている。掘り起こそうぜ。