親指はもうかくさない
母はきれいな人であった。
誰もが認め自分もそれを頼りに生きてきた。
独身時代の写真が多い。
ポーズや構図も良く不思議だった。
実は今は柏の葉に飛行場があり、写真班の兵隊さんが市野谷の実家に逗留していたという。
母と結納を交わした頃父は市場で野菜をさばく売り子をしていた。
その頃の手紙には「光り輝く家庭をつくろう」とあったが、母をゲットしてからは次の野望に心が奪われ、家ではしかめっつらをしている事に母は寂しかったらしい。
僕が生まれて家の雰囲気は暖かさを得、母は夢のような日々が続くように願ったがいさかいはすぐにやってきたことなどが母の日記に示されていた。
父は8人兄弟の末っ子であり5年生まで添い寝されながらオッパイを握っていたという。
十分に甘やかされた性格は茶目っ気と行動力を育てたが我がままであった。
7歳で母を亡くし長女としてしっかり仕事をした母は心の余裕を育めなかった。
しかし評判の美人であったためにもう少し自分の方を見てもらいたかったが、父は甘えたい方、気の強さオ互いには劣らない。
いさかいは長く続いたが、仕事の失敗や病気などで晩年はとても仲良くなりオヤジの姿はカッコ良かった。
近くに斎場がありよく霊柩車とすれ違う。
その時いつも親指を隠していたが、もうその必要が無いことに愕然とした。けっこう重いなぁー。