▼ブログ帰農人
知る人ぞ知る真澄屋のあちが綴る週間コラムです。「街を耕す八百屋:真澄屋」と、無農薬農園「真澄農園」を経営。子供は6人。
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■ 2005年02月28日
温かい二月は嫌いだ
畑はからからだ。
先週の久々の雨のあと急いでほうれん草を播いた。
播く前にもたっぷり水を播き、堆肥をかぶせた。
まだ芽が出ない。すぐにからからだ。
中々芽が出なかった人参のトンネルを空け、雨をかぶせた。
これは成功。
昨年はまったくダメだったので、うれしい。
トンネル内の葉物に塔がたち始めた。早い。やばい。
温暖化を当たり前に考えなければいけないかもしれないが、受け入れたくはない。悲しいじゃないか。
先日異常に身体が重く辛かった。
原因が中々思いつかなかったが、数日前に自作の運搬機で田んぼに堆肥を播く直前、
道の真ん中でエンジンが動かなくなり、あわてて積んであった堆肥を田んぼに播く為に走り回った。
軽くなった、運搬機を人力で道の脇に寄せた。
そのときの筋肉疲労だ。
結局、プラグに電気を送る部品が壊れていて、古いので部品も交換できないことがわかり、今他の壊れた機械のエンジンを付け替えている。
とても悔しい作業だ。
桃太の受験は明日わかる、伊邪那は大家さんから車をもらった。
貝人の入学用の特性カバン探しも難航している。
イッシーも葬式で大分だ。
ばあちゃんが頼りの日々。
日時: 10:20 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
■ 2005年02月27日
全てを慈しめるから東洋
最近がきどもが絶好調でにぎやかすぎて、デスクワークは進まないのだが、毎日子どもたちの姿を長く見られる生活は本当に幸せだとも再認識する。
それとは関係ないが、先日麻実が棒を頭に立てたり引っ込めたりして「オニだよ!)。もういないよ!)。」
とやっていた。
僕はつい
「角は死んでもなくならないよ!)。結婚する時だけかくすんだよ!)。」
と答えてはっとした。
結婚式の角かくしはあまりかっこいいものではないなぁ、と思っていたが、人間の欲深さを肯定し大らかに管理する東洋の思想、仏教では欲望の毛を剃り続け、神道では人はそのままで神であると祭神の中央に鏡をおくなのどの教義が民意の中で納得されてきた形は凄いもんだなと妙に考えが涌き出た。
歴史そして文化は素晴らしい。
イスラエルがパレスチナのテロ実行犯の家族の家を壊すのをやめたという。
もう八百軒以上を破壊したそうだ。
地震災害の何百倍の悲しみに憎しみの連鎖だろう。
効果がないという結論までのひとこまの心の歴史に千年の宗教戦争を垣間見た。
しかし素晴らしき希望へのニュースだと思う。
迫りくる人類の滅亡を世界はかぎとっている気がする。
日時: 10:23 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
■ 2005年02月22日
畔塗り機とローダー
田んぼの畔塗りを終えた。
田が固い時でないと畔塗り機はうまく動かない。
深い田が多いので今が時期だ。
それでも大変だった。
曲がった畔が多く恥ずかしい。
聞くともう他の百姓たちはよく知っている。
新しい機械にはとても敏感だ。
キャタピラー式のトラクターに乗っていて凄く視線を感じる。
今年の秋に収穫が多くなれば認められ、ダメなら新川耕地の農業の進展は大きく遅れる。
責任を感じる。
購入したローダーも大活躍だ。
堆肥などを持ち上げるバケットが付いているトラクターだ。
古いのを十五万で買った。
先日運んだ生ゴミの堆肥十七!)を軽トラに載せ畑に播く作業をイッシーがあっという間に終えた。
壊れたコンバインを改造して運搬車にした。
これでうまく田んぼに堆肥を播けたら思いっきり肥料を田んぼに播ける。
パラパラと播けばよく出来る化成肥料に負けない仕組みが出来あがる。
夢と不安がふくれあがる。
家路の車中のラジオの「なだそうそう」に涙があふれる。
農業学校「野良」の開校もまじかだ。
獣たちの屍骸をよく見かける。
サギにハト、タヌキやアオダイショウ。
もぐらの土盛りも多い。
春菊も花をつけそうだ。
やばい。
日時: 10:22 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
■ 2005年02月20日
寒のもどり
ここ数日の寒のもどりは体に妙にこたえる。
寒中に引き締まった細胞が、春の気配を感じてぼちぼち目覚め出し、草たちなどもいっせいに伸びはじめる様相を充分に漂わしているその時、一級の底冷えがやってくるのはこたえる。
人も野菜も。
苗物の中ではトマトが二割ほどひん死の状態だ。
インフルエンザみたいなもんだろう。
昨年よりはかなり手をかけて育てているので、なんとかなるだろうという気持ちが少し増えた。
一年中心配ばかりしているので、気持ちに少し余裕ができたこと自体がうれしく感じる。
今年初めて休みが取れたので下三匹をスケートに連れていった。
今千葉県にはないんだね。
江戸川区の公営リンクだ。
小一の貝人はまったく恐れず、ひたすら走り回り転びまくっていた。
凄いパワーだ。
小三の麻実は二時間壁の花、転ぶのが怖くてしかたがない。
それでも最後は滑れるようになった。
小五のくるみははまってしまい、今日は一人で電車ですべりにいってしまった。
初めての一人旅、何度も電話がかかってくる。
自信が持てない彼女にとってはいい旅だ。
だけど三十年ぶりのスケートに足はガタガタだ。
畑にいこう。
日時: 10:25 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
■ 2005年02月14日
厄払い
三年前からよく農作業を手伝ってくれている亀有のケンちゃんのお母さんが先日亡くなった。
難病中の難病で全身の筋肉が動かなくなり、口さえも動かせなくなり五年になる。
思考だけは健全で病前は活発な人だったらしくその地獄凄まじいだろう。
その母をケンちゃんと父さんで看病してきた。
ケンちゃんは菜食だ。
「生き物を食べるのがいやになったんだ。」そうだ。
宗教や哲学から菜食になったのではない。
菜食も農業も看護生活から影響を受けたのではないか。
お通夜の写真は稽古ごとの師範のような丹精な顔立ちに苦悩と安らぎを強く感じた。
田植えのころはちょっとは落ち着いているだろう。
手伝ってもらおう。
イッシーの父さんも危ない。
大分に何回でも帰れと言ったが、帰る気配無し、毎日気にかかる。
彼も動揺しているせいもあり、先日追突事故を受けた。
大した事故ではなく、お互いに始めての事故であり、携帯の電話番号しかメモしてこなかった。
幸いにして電話が通じた相手はお互いに悪いと住所等を教えなかった。
三十分ほど説明し、解決した。
相手はイッシーと以前短期間バイト先で一緒だったそうだ。
縁は巡り、役払いかな。
日時: 10:26 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
■ 2005年02月12日
こうじきんさま
あまりにも美しくしあがっている。
うそのようだ。
大量に上質の糀を造れるようになった。
暮れにいただいた「こうじぶた」のおかげだ。
四五×九十センチの重ねることができる箱で、糀かびを成育させるのに湿気を保つことができる、
ふたの役割が大切なことから箱ではなくふたとよぶ。
きちっとしたこの杉の箱は熱を保ち、高温も和らげてくれる。
これを造ることは大変であり、いつもコタツの中でシーツやバスタオルに巻いて生やしていたがいつも満足のいく糀はできなかった。
箱ひとつでこうも変わるとは思わなかった。
しかし単純な箱ひとつにこうも日本の文化を感じたことは驚きだった。
以前銘酒「五人娘」の深緑の糀カビを分けてもらったことがある。
まさしくカビであった。
市販の糀菌は混ぜやすいように片栗粉にまぶしてあるのでカビを感じることはない。
そのカビをしっかりと蒸した米に深く植えつけうべく丁寧にこすりつけ、電気ストーブ等にサーモをつけ密封した部屋、「こうじむろ」をこさえれば、こうじぶたの中で二日間で糀は酵素を大量に吐き出し、その酵素が豆を分解発酵し薬のような調味料を作る。
魔法だ。
日時: 10:28 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
■ 2005年02月09日
火炎放射器
今年こそはどの田んぼにもしっかり水をはってしっかりお米を取りたいと毎年思うが、失敗を七年間くりかえしてきた。
新しい深田用トラクターの購入に伴い、畔塗り機も購入した。畔から水は漏れる。
その管理にかかる労働は大変だ。
思いきって買った機会を有効に活用すべく今年はしっかり畔の草を焼いている。
冬晴れが続く今が焼き時だ。
去年までは棒の先に布切れを巻きつけて灯油を染み込ませ松明を作り焼いていたが、中々きれいに焼けなかった。
思いきりついでに草焼きバーナーも買った。
灯油を入れた火炎放射器だ。
うなりをたてて焼き尽くすバーナーに祈りを込める。
「田の水よたまって下さい。」
でも気をつけないと火事になる。
休耕田の葦草が連なっているので燃え移ると大変だ。
あらかじめ燃え移りそうな部分を少しずつ焼いておく。
それから自分の田の畔を焼く。
住宅も近いので人の目をとても気にしながらの野焼きだ。
先日、裏に出来たスケボーのハーフパイプ施設で若者達が夜遅くまでレゲエなどを演奏して騒いでいた。
うるさかった。
でも曲目もいい、火をたいて良き集いだ。
俺たちもよくやっていた。
次は楽しく忠告するぞ。
日時: 10:29 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
■ 2005年02月06日
農学校での味噌作り
「この薪は俺の葬式用にとっておいたんだ。」と、
農学校の田畑提供者であり講師でもある池田さん。
もちろん葬儀の煮炊き用であるが、味噌し込み講座の参加者はみな火葬用を連想した。
ほんの数年前まで農家やでは家での葬儀がほとんどだったが、あっという間にセレモニーホールが主役になった。
薪や大鍋もいらない。味噌も餅も米も買う。
道具は納屋で博物館化し、年よりが亡くなると燃やされる。
この街において農の文化は風前のともし火だ。
今のじさま、ばさまが壊滅すればおしまいである。
参加者三十名は糀と混ぜ臼きねや大きな鉢で順次豆をつぶし、ビニールに入れて踏みつけてもつぶし、
あっという間に百五十キロの味噌をし込んでしまった。
最後の虫よけの袋かけではみつ子ばあさんがさっとわり入りひもかけを手伝ってくれた。
まちの人はひもの使い方が大変へたくそだ。
俺もそうだった。
何度も大失敗して少しは使えるようになった。
みっちゃんとひもをきゅっとかけ終えたとき、百姓としての誇りを感じた。
農学校も二年目を迎える。
しっかりした運営を確立し、もっと多くの百姓の年よりに関わってもら得るような広がりを。
日時: 10:30 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)