鬼は~おら、福も~おら
正月最後の日の朝は悪夢を見た。
原発か爆弾かの放射能の霧に追いかけられた。
隠れても無駄だ。
建物の中で目張りしてやり過ごすしかないが、誰も入れてくれないだろうし、断る鬼も見たくないと家族を抱えながら、まだかっこつけてる自分がみにくかった。
その話しをしたら、同じ朝、くるみも悪魔に追いかけられ、友達のマリも万引きと間違われたり、マサの親友もとんでもない夢を見たという。
気の流れを感じた。
夢の世界にどんどんはまっていく。
夢から得られる情報は偉大である。
ともかく自分を客観視できる。
そして節分が来た。
節分はいつも迷ってた。
何で「鬼は外~」なの?、エゴのかたまりじゃん、って、22才の頃、公園で紙芝居や、炭で餅を焼いて仲良くなったガギドモを引き連れて、幼き頃父に連れ出された儀式をまねして社寺、祠を練り歩き「鬼は宇宙の外」とやったのが悩みの始まり。
だが、先日の節分の日に悩みからの開放のキーワードが訪れた。
それは「鬼は隠人おんに」が語源の一つとのラジオからの会話、おもしれぇ、とここ数日そのことを考えマイブーム、自分の中の邪気を払い、精霊を迎える儀式。春。